2000年~1996年


2000年

 釣りクラブからメーリングリストへ

 

 ちぬ爆に入会して2年足らず諸事情で退会することになりました。自分自身クラブには最大限の努力をしたという自負はあったのですが、仕方ありません。後悔はありませんでしたが、ただ私が誘って入会させたメンバーには非常に私自身無責任さを感じ大変申し訳なく思いました。それと退会と同時にもちろんのこと全くメールが入らなくなりました。さみしさを実感しました。もちろん釣りはいままでほとんど単独釣行だったのでまたもとにもどったと思えばいいのですが、やはり情報交換する相手が欲しいなあと痛感、たまたまメーリングリストの存在を知ってじゃあクラブはもう結構。新しい形での仲間を作ろうと”釣りバカ ネットメーリングリスト”を開設しました。

 ホームページ上で呼びかけると以前からメールしたり掲示板でカキコミしたりしていた仲間が賛同してくれて参加。また前クラブの富山メンバーの人たちも参加してくれました。遠くは東京の黒助さん、名古屋の源さん、、、ネットの力は偉大だと改めて思いました。


1999年

 新たな出会いが

 

ホームページを開設した当初はやはりアクセス数も少なかったが徐々にだけれども増えてきた。それとともに掲示板へのカキコミがあったり、メールがきてメー ルのやりとりしたりとどんどんと交友関係が増えてきた。その当時に知り合った人たちとはずっと釣友としていまだにお付き合いいただいているのはやはりあり がたいものだ。

 そして一緒に釣りをして仲良くなった人たちをどんどんと釣りクラブへ勧誘し、ちぬ爆へ入会させてしまった。にっしゃん、シューちゃん、はなくろさん、 たっつあん、カズさん、みきやすさん、黒猫のラッキーさん、、 クラブへは入られなかったがご一緒したオカPさんやmasatoさん楽しい釣行をさせたも らった。

 私のホームページをみて自分でもやってみようという気になって開設したという新潟のヤマさんが釣友のバンブーさんを伴って11月に来富された。片道300KM私には考えられないことですが、同じ歳ながら釣りに関する執念はちょっと負けたかな。

 またある日にっしゃんからメールで富山にすごいホームページがあるよと連絡をうける。富山迷釣会、滑川の雄(自称夕まづめの貴公子)anyさんのホーム ページでした。チンタしかつれない私にとってはアンビリーバブル。さらに5センチイガイ。イガイを使ってはみるもののまだまだ信用できないでいる私にとっ ては衝撃的でした。anyさんともこのときからお付き合いがはじまりました。

 

 

 第5回 ちぬの魚信を楽しむ会

 

 昨年に続いて2度目の参加。少し勝手がわかったとはいえほとんど釣行することのない金沢のフィールド。ちぬ爆のメンバーがいるのでなんとかナビゲートして くれるもののテトラの前打ちばかりの釣行ゆえに川筋Pと言われてもなかなかつかみどころのないものがありました。でも釣果よりも懇親の意味合いで十分に楽 しむことが出来ました


1998年

 ホームページ クロちゃんの釣りバカ倶楽部 誕生

 

 一年前まではインターネットをやろうとは思ってもみなかった。そして数ヶ月前までは自分でホームページを作成しようなどとは思ってもみなかった。インター ネットをはじめてからはメールにはまった。そして同僚が作ったというHPを見て色々と話をしているうちに自分でもなんとかできるかなあと思った。ネットをはじめた当時はやはりアダルト中心でしたが、やはり釣り関係のホームページを見るようになる。しかしその当時県内で釣り関係のホームページは数件でクロダイ中心のものはなくお気に入りにはいれたもののあまり見る機会はなかった。メールで釣りのことを話す友ができたのだけどもっと情報を入手したいし、もっと 釣りを通して友が作りたいと思っておりました。ならば、作ってみようかということで平成9年の終わり頃から構想をたてはじめる。まずはホームページ作成ソフトの購入。いろいろ迷った末、アドビ社のPAGEMILL2に決定し購入。さらに同僚からもらったHP作成用の雑誌からパーツ作り、バーナーやらボタン やらまあ肝心かなめの内容よりもどうでもいいようなものからとりかかりました。しかし休みの日にちょこちょこっと断片的にやっているだけだったので2月頃になってもまだすすまない。どうしても4月1日バカの日に立ち上げたいとこれだけはこだわっていたのでこれはいかんということで3月にはいってから精力的にというか、とりあえずかっこだけ作って4月に入ってから手直ししていこうとほんの数日の休みを集中して作業しなんとか4月開設に間に合わせたのであ る。

 開設した月のアクセスは300件あまり。でもそのうち半分近くは自分だったのだと思う。そして各種検索エンジンや釣り関係のホームページにリンクさせてもらったりしてシーズンの秋にはなんとか月1000件のアクセスくるようになった。そして最初の一年で1万アクセスを達成することができたが、これだけ反響があるとは思いも寄らなかった。そして当初の目的であった釣友は、釣り倶楽部への参加やメールで知り合った友などとかなり増え開設一年で目的を達成した といっても過言ではないと思う。

 

 渓流釣り

 

 ようやくクロちゃんの釣りバカ倶楽部を立ち上げたのはよかったのだけれども前の年の9月からずっと釣果がなかった。多少あせる気持ちもあったものの例年この時期はこんなもん?というあきらめというか達観の心境である。その日も海にでかけたもののもちろんボー、むなしく帰宅。だがなんとなく面白くない。さら に悪いことにパソコンの調子が悪く使用できない。休みの日、海にいなけりゃパソコンいじり、これがほぼ日課となっていた私にとっては退屈そのものである。 このときにふと思いついたのが渓流釣り。会社の同僚が3月に解禁になってから渓流に通っていて時折釣れたの釣れなかったのと話をしているのを小耳に挟んでいた。その数日前にも尺岩魚を釣ったというMさんの話をそのときは全く無関心に聞いていた。でも釣り師の性だろうか、エサはぶどう虫仕掛けは通しで 0.8、0.6というのが記憶にあった。そして最低限の仕掛けとエサを近くの釣具店で購入してとりあえず山へ向かったのである。

 もちろんポイントなぞ知るわけもない。ただ山方面に車を走らせる。そしてたまたま向かったのは馬場島。山菜取りによく家人とでかけたというだけである。 しかし馬場島は遠く、たまたま目に入った大岩川の上流をめざしてすすむことにする。そしてさらに山へ向かってすすむなんとカモシカと遭遇。少し人里はなれ ただけというのに、、これが山、、なのだろうか?感心する。少しもどったポイントでとりあえず竿だしすることにする。昔こんな竿でフナ釣ったよなあと思い つつ仕掛けを作り、エサのぶどう虫をつける。チョンがけがいいのだろうか?縫いざしか?と迷いつつエサを付け、投入。そして数投目、このときまだ目印を付 けることを知らない私はなんと前打ちの要領で穂先アタリを待っていた。グニュって感じで(安物だからでしょう)竿が曲がりそれでも釣れているとは気づかず 竿をあげるとブルブルと手応え。20センチ弱のイワナであった。あまりにもあっけない初獲物でありましたが、本当はそれがイワナであったと知ったのは翌日 のことでした。そして次の沢に入りまた数投目、またまたヒットヒット。先ほどとほぼ同サイズです。

 まさか釣れるとは思いもよらず、持ち帰る準備していない私は2匹ともリリース。 このあまりにも安易なきっかけで渓流釣りにのめり込もうなどとはこのときはまだ気が付いておりませんでした。

 

 最初で最後の釣りクラブ 

 

 チヌ魚信の大会後、同行させていただいた植松氏からネットを通じて情報交換する新しい形の釣り倶楽部を作りませんかというお誘いがあった。いままで同僚と 会社の釣りクラブには参加してはいたが、本格的なクラブは初めて。そしてまた新しいスタイルでのクラブという魅力的な部分にひかれ唯一の富山メンバーとし て参加させてもらうことになりました。こちらから金沢リンクスや倉部海岸などに出向いていったり、金沢メンバーが富山で釣行し同行したりといままでにない 釣行を楽しんだことと毎日のようにくるメールで釣りに行かなくても釣りをしているような365日24時間釣りどっぷりの生活にはまってしまうようになりま した。釣りを続けているうちはずっと継続していきたいなあと思っていたんですが、、、

 

チヌの魚信を楽しむ会

 

 北陸の釣りという雑誌でこの会の存在を知り早速申し込みをしました。会費千円で永久会員、定期的に親睦の大会が開催されるということです。


1997年

 はじめての年無し

 

 中提では3月に入ってからかなり良型のクロダイが釣れているという話を聞いて気合を入れて通っていたが、大荒れで竿だしすらできない状況が多くまったく釣りにはならなかった。そして3月27日この日もどうだろう?と半信半疑での釣行であった。

 この日は北東の風が吹きやや波立った状態でまずまずの海況で今日こそという思いが募る。そしてさっそく車から道具を下ろして準備をはじめようとすると活 きエビの入っているブクが動いていない。どうも電池切れらしい。あわててブクの中を覗き込むとなんと半分以上のエビが白くなって死んでしまっているではないか。しかし、いまからエサを買い足しにでかけるわけにもいかない。もうすでにあきらめモード、どうせだめだろうから。10数匹まともにいたであろうかそのエビを持って先端付近に向かう。

 珍しく釣り人の姿がいない。先端は独占状態。こんな日に限って、、と思いつつも釣り始める。先回まで結構あたってきたエサ取りがその日はあまりいない様 子だが、根がかりの連発でエサはもう数匹しかない。その中でも大きなエサから順に使っているとコツンとかすかなアタリが竿を介して手元に伝わる。えさ取り?と思いつつ合わせを入れるとズシリと手ごたえ。よし、本命だ!ノッコミとは思えない強烈な引き込み、何度も何度も締めこまれるのはいままでの記憶には なかったもの。それでもなんと水面に顔をださせることに成功、やはり良型だ。しかしそこからがまた一苦労、流れがあるのでなかなか近くに寄らない。また小雨が降って合羽を着込んでおり、荒い息遣いでメガネが曇る始末。タモをだすものの遠近感がとれずなかなかタモに入ってくれない。そして何度かタモからはず しばらしたかとひやひやしながら無事ゲットする。ズシっとした重量感はタモにはいった瞬間に感じる。しかしその時点ではまだ年無しだとは思わなかった。慎重に移動して堤防にあがりメジャーをあてると待望の年無しを実感する。

 うれしい限りで帰り道会社の同僚に見せに行き、そして釣具店で魚拓にしてもらう。釣った魚は魚屋できっちり刺身にしてもらったのだが、ホントにおいしくいただくことができた。刺身を取りに行く途中たまたま中提の常連シマちゃんに会って年無し報告。自分のことのように喜んでくれた。ありがたい釣友だ。

当時のタックル

(竿)   DAIWA 飛竜 HX2号 53-63

(ライン) 道糸3号 ハリス2号

(針)   オーナーカットチヌ7号

(えさ)  活きエビ

 そしてその次の釣行で34センチをゲットしたが、春の中提はそれまででした。

この年は春に建前をして8月に完成入居するまでなかなか釣行できず、釣果も年間23枚と貧果に終わりましたが年無しだけがいい思い出です。


1996年

 サロン・ド・赤灯台 

 

 中提は以前雑誌でとりあげられたことがあって ’別名サロンド赤灯台’ と呼ばれている。特に昔からここ専門に常連として通ってくる釣り人が多いことで有名で顔見知りになれば釣り談義やら身の上話やら和やかな雰囲気に包まれている。いまでもそうだが、釣りをしなくてもただ釣り場にきて話こんでいく人もいる くらいだ。だいたい1週間くらいの釣果情報は、そこに来ている常連さんに聞けば入手することができる。特に先端付近は入ることができる人数が限られる。 しかしブッコミ、前打ち、投げ釣り雑多な釣り方をしていても皆それなりに暗黙のルールがあってそれぞれに人の邪魔をせずに釣りをしている。だがたまたま来た人が乱すようなことがあるとたちまち叱責を浴びる。こんなことを敬遠する人もいるし、まあこれは賛否両論だろう。輪の中に入ることができれば、これまた 楽しである。

 私自身はたまたま会社関係の取引先のシマちゃん、そしてその同僚のヤマちゃんがいたので割と自然に溶け込むことができた。

 さて春の前打ちパターンが岩瀬の赤灯台(中提)となって年明けから(一月に6回釣行)通ったものの結果がでない。フカセからはきっぱりと縁をきって前打ち一本でがんばっていたが、3月18日やっと一枚を釣ることができた。この日は午後からでかけると朝から頑張っているヤマちゃんと合流。あれこれと釣りの 話やら仕事の話やらしつつ、竿だししていた。いい感じの濁りが入っているのだがやや強い西風とうねりに悩まされていた。夕まづめになってエサも残り少なく なり、やや小ぶりの活エビ2尾掛けでコツンと小さなアタリ。うねりの中寄せに苦労しつつゲットしたのが39センチであった。明日は娘の合格発表の日で前祝 だなあと意気揚々と自宅へ帰ったのだが、発表を前日に迎えた娘を一人ほったらかしにして釣行にでかけたことを奥さんにとがめられ久々の釣果と前祝の美酒と思っていたのが、少しほろ苦い酒となってしまった。そして4月にかけてさらなるデカチヌと思い通い続けたものの、それオンリーとなってしまった。。

 

 

 浜黒崎と堀岡排水口

 

 7月ころから通いだしたのが浜黒崎。2003年現在今は陸と化して釣りをすることができなくなったが、常願寺川の左岸側のテトラ帯である。角テトラのため に足場は大変悪くまた河口ということがあり秋口以降はかなり荒れることが多い。他ではできてもここだけは無理ということがかなり多かった。しかしながら 30センチクラスが中心ながら安定して釣果がある私にとってはとっておきのポイントであった。

 そしてこの年の9月24日堀岡排水口に入る。このポイントは北日本新聞社 ”空から見たポイント 富山湾、能登の釣り” の初版で紹介されていたポイントで排水口付近に大チヌが釣れるとあった。空撮後工事が進んで今のT字提になっていくのだが、当時はまだ工事中で付近に車を止めることができなかった。民家が多く道が狭いので私もトラブルがいやなので遠く離れた場所に駐車していた。その日40,34,30と3枚ゲットしたが、 集中してでかけなかったのはそういった理由からであった。(単なるなまくら、、、)

 

 カニ捕り

 

朝一釣行が多い私であるが、海況が悪く朝まづめしか狙えない状況のときまだ家に帰るのも早いしというわけでえさ取りにでかけていた。安定して取れだすのは 夏場以降であるが、これまた楽しい。滝港へたまに通ったのもそれもひとつの理由であった。特にあそこのテトラには堤防カニが多い。そしてケーソンにもたくさんいてそれをタモで一度に数匹捕まえることができたのであっという間に100匹くらいは取れた。そして磯場では防潮カニ、岩カニと3種のカニをそろえる ことができたので釣れようが釣れまいがしっかりおみやげだけはゲットして帰っていたものだ。だいたい秋から冬年内に冷蔵庫の中のカニ桶のカニが絶えたことはなかったが、その分スペースが邪魔だといつも家人におしかりを受けていた。

 滑川界隈が主産地であったが、魚津までカニ取りだけにでかけたこともあった。最近は面倒で買うことが多いが、取れなくなったなあ。